日記とか

日記とか読んだ本の感想とかをメモします。

9/24 昼

朝から活動するとめちゃクソやることやってもまだ昼って凄いなって思いました。でも徹夜したので後から死んでしまいました。すげー眠い。今はMaciPadiPhoneの修理で新宿のAppleストアに来ています。これ全部同時に回収されたら死ぬな。

普段軽率に死にたい死にたい言ってる僕はするする詐欺で死にたいって言いたいだけなので口だけ構ってちゃんなんですが、つまり生きるのが辛いので死ねば楽になる、という思考です。肉体的な生命活動を断つのが生物的な死ですが、目的としては苦痛から解放されることにあるので、段階的にまず社会を自死する事にしました。

区別すべきなのは、例えば家庭がやれなくなって別居したり、会社を辞めたりすることも社会からの死ですが、これは全く意味が違っていて、例えば前者は家庭が破滅する前に距離を置く、だったり、後者であれば、次の会社が決まっているのであれば転職というか、転生のようなもので、択を取っただけという解釈をします。

逆に、例えばメンタルがやられて、限りある社会保障に頼って退職したり、捨て難いモノ以上に耐え難い何かがあって離れる事が、社会的な自殺に該当すると考えています。

この定義を自身に当てはめると、この一年、複数回の社会的自殺をしていて、死んだ後は別に楽になっていない、という事が実体験として得られており、つまり生きている限り逃避したくなる苦痛や困難は如何なる環境でも繰り返し発生し続ける、ということです。

今度こそ意味のある死にしたい、積極的に、打開として死ぬことをやっていきたい。デスノート曰く、死は空白であり無であるので、生まれた空間に有を詰め込もう、という思いです。頑張ります。