日記とか

日記とか読んだ本の感想とかをメモします。

9月26日 夕方

タイトルに日付を入れる時に始めて、今の日付を知る生活です。今日は人が死んだ時の事を思い出したのでその事を書きます。

時期がかなり曖昧なのですが、いやマジで分からねぇ、いつだろう、多分…いや…多分中学生か小学校高学年なんですが、とにかく学習塾に通っていました。中学受験はするつもりなかったのですが、親が教育熱心だっとは思わないのですが、やった方が良いならやっておけ、というスタンスだったのでしょう、通っていました。思えば色々やらせて貰いました。母が鹿児島の自然しか無い田舎で自然しか出来なかったから、自分の子供には、という思いがあったのかなとか、そんな気がします。

その塾は全国展開していて、難関校希望者向け(だったのでしょうね当時は気にもしていませんでした)夏休み集中講座的なものが隣の市の教室でありました。参加しましたが、元々勉強のやる気は全く無かったので、内容には全くついていけませんでした。どこかの時間で、「もう全くわからないので一番隅に居ます、放っておいてください」と宣言して、諸々を放棄した覚えがあります。でもなんだかんだ全日通っていました。履歴書とか自己アピールで長所を書くのは苦手なのですが、真面目、ではなく、正直なところはあるのかと思っています。隠し事はするのもされるのも少し苦手です。でも最近は言わないほうが良いことを我慢すること、意図を持って隠されていること、が分かって、自分でも知らないようにする努力が出来るようになりました。大人っていうのはこういう事が無理なく出来る人なのかな、と思います。

多分翌年、学年か学校が次に進んでから、同じ講座を受けていた友人が亡くなりました。死因は、夜中に市営の体育館の天井に登って天窓から落ちた、と聞きました。大変驚きました。亡くなった彼は、端的に言って顔が良く、頭も良く、明るく人気者でクラスの中心、今の言葉を使えばイケメンで陽キャというやつでした。それなのにそんな死に方、あまりにも阿呆過ぎる、なんでお前がそんな、勿体ない、何で、という気持ちが溢れた事を明確に覚えています。便宜上、友人と書きましたが、秀才と落ちこぼれがたかだか数日間で意気投合することもなく、教室では仲良く笑い合って会話していましたが、連絡先は交換することなく、講座が終わってから思い出すことは一度も無く、別世界の住人という感覚でした。(因みに訃報は私と同じ教室から通っていた友人から受けました) 

お通夜に呼ばれたので、正直行って良いものか悩みましたが、普通、そう、数日間は普通に友人をやっていたので遠慮することもないかと思い、行きました。確かその時は制服を着ていたので中学生か高校生だったはずです。それ以前の葬儀は小学校低学年だったので、物事の分別がつくようになってから初めての事でした。流れに従ってお焼香を焚いて遺体のお顔を拝見しましたが、あぁ、死んでいるな、ということが分かりました。人間は死ぬんだなぁと、ぼんやりと認識しました。親族の方の顔は沈痛な面持ちというか、困った、あるいは理解出来ない、といった印象を受けました。いや、だって、そりゃあそうですよね、個人的な付き合いがあった訳ではないので、普段どういう事をしていたのか、有り体に言えば素行の良し悪しは知りませんが、私の視点からすると、メッチャ出来るヤツです。そんなのが、阿呆というか、盗んだバイクで事故って死んだみたいな事がいきなりあったら、あるいはそうでは無いかも知れない、事実は確認していない、夜中の体育館の天窓って普通に行ける訳がないし、もう訳が分からない。単純に勿体ないと思ったし、誰に同情すればいいのか分からないし、同情していいものなのかどうか、何もかも分からなかったし、今でも分かりません。多分一人では無かったとも思うので、想像し始めると限りがなく、もうやめましょう。

それから今でも、何年に一度か、彼の死を思い出して考えます。私より優秀で、顔も良くて、きっと社会の一員として役に立てたであろう彼の死について。勉強が出来なくて、贅肉にまみれていて、社会と付き合っていけない私の生について。命は貴賎無く尊いもの、奪ってはいけないものとして考えているのですが(幼稚園が仏教系だったので純粋な死生観、いや宗教観なのかな、刷り込まれました)、やはりそれでも、優先順位ってあるんじゃないかな、とか、でも私の価値が低ければ、私を大切にしてくれている人にも失礼かな、やはり等価値で良いのかな、とか、考えますが、いつもよくわからないまま、考えるのに飽きて、また何年に一度か思い出して考えます。次は2021年頃でしょうか。

 

余談ですが、私は以来、現場の体育館には行けていません。感情の折り合いがついていないので。場所は知っているので、何れ気持ちに整理がついたら訪ねてみるのも、良いのかもしれません。